
オリンピック初出場の鍵山優真選手(18)が見事銀メダルを手にしました!
昨年あたりから注目されていた選手でありましたが、コーチが父親であることは最近知った方も多いのではないでしょうか?
父がコーチという珍しい組み合わせですが、その二人三脚できた結果が銀メダル。
鍵山優真選手は「五輪で父を感動させられる演技がしたい」と言った言葉に、父に結果で返すという有言実行も素晴らしいです。
点数が出た時にみるみる顔が赤くなっていき感動の表情の父、正和コーチを見て見ていた私も感動してしまいました。
今回はその親子の関係性についてお伝えしていきたいと思います。
鍵山優真選手と父との関係性やエピソード
鍵山優真選手のコーチは父・正和さんです。
5歳からフィギアスケートを始めた優真選手は、父・正和コーチに教えてもらっていました。
優真選手が落ち込んだ時は励まし、また困難に打ち勝つ勇気と方法を教えていたそうです。
鍵山優真選手の父・正和コーチはオリンピアン
コーチで父親である鍵山正和さん(50)は五輪に2度出場されたオリンピアンです。
<オリンピック2大会連続出場の成績>
1992年アルベールビル 13位
1994年リレハンメル 12位
練習では日本人で初めて4回転を跳んだ父から、優真選手は5歳から指導を受けてきました。
どうしてオリンピックなのに2年後に開催?と気になり調べたら
冬季オリンピックは、1992年(第16回)アルベールビルまでは夏季オリンピックと同じ年に開催されていましたが、 1994年(第17回)リレハンメルから夏季オリンピックの間の年に開催されるように変更されたそうです。
現在では夏季と冬季のオリンピックは2年ごと交互に開催されることになっています。
なので、鍵山正和コーチはこの渦中の選手だったのですね。
鍵山優真選手は父子家庭で育つ
・正和さんには離婚歴があり
・シングルファザーとして鍵山選手を育て、父ひとり子ひとりの生活
・家事もお父さんがすべて担当しており、朝練のときもお父さんに起こしてもらっていた
女性自身
離婚理由などについては詳しくはわかりませんでしたが、上記の通り一生懸命お父さんが子供の夢も含めて育ててきたことがわかります。
鍵山優真選手の父・正和コーチの脳出血
2018年6月23日に脳出血を発症し半年間入院、その後は後遺症を残しながらも回復しているようです。
当時、鍵山優真選手が中学校3年生の15歳、正和さんは46歳でした。
父としても、コーチとしても不在だった優真選手はどれだけ不安だったでしょうか。
それでも僕が頑張れば、お父さんの病気も治ると思い、
お父さんに指導してもらったことを思い出しながら、自分で練習メニューも考えて滑ったり、練習中の動画を病床のお父さんに送って、アドバイスをしてもらう日々が続いたそうです。
後遺症との闘い
命はとりとめましたが、下記の後遺症が残ってしまいました。
それでも、入院から半年後にまた優真選手の下でコーチとして支えています。
・左半身麻痺
・杖歩行

・長距離には車椅子

初めて一緒に海外遠征
2021年3月世界選手権で銀メダルを獲得し、帰国の時の様子です。
まだリハビリを続けている状態ですが、二人三脚で進んでいるのですね。
祖母の協力
鍵山優真選手の祖母であり、父、正和コーチをオリンピック選手に育て上げた佐治子さん(73)
父、正和コーチが脳出血で入院している間、名古屋に住んでいた祖母の佐治子さんが、優真選手のサポートをしていたそうです。
朝4時に優真選手を起こして早朝練習へ送り迎えをして朝食も準備し、弁当を持たせて学校に送り出す日々が続きます。
隔日で愛知の病院に日帰りで通い、週1回ほど優真も病院へ同伴させ、忙しい日々を送っていたと思います。
子供と、孫、家族で乗り越えた先にあった、この銀メダルはおばあちゃんとっても特別なものであったと思います。
鍵山優真選手と父の関係性のまとめ
今回、鍵山優真選手の活躍とともに、親がコーチであるというところに興味を持ちました。
思春期の子供との関係に悩まされる親子が多い中、親子関係、そして師弟関係のよさに意外性さえ感じたからです。
色々調べていくうちに、父親であり、コーチでもある正和コーチとのすばらしい関係性が、この銀メダルという結果をもたらしたと思います。
親子という近い存在だからこそぶつかることも多かったと思います。
ただ、子が親を信じ、親が子供の夢を寄り添って応援し続けられる姿に感動しましたし、そういった親で私もありたいと思いました。
これからも鍵山優真選手を応援していきたいと思います。

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